お早うございます。
梅雨も明けかけですな。華村は来たる季節に掛けて沈黙をします。
黙る為に喋るとか、何かを喋るために黙るとか、緊迫感がは人には有ります。感じることに聞き耳を立てる。
夢と物語を本日は書きます。



紫陽花と蝸牛の「インタビュー」

星と星の葛藤は、カタツムリと紫陽花に例えてみられる。
「向こう、あなた」の星では、モニュメントが実に平和的に彫刻され、その天辺から宇宙の果てさえ望む事か出来る。その人は何にも出けへんかったのに、いつの間にか絶えない努力をされ出世をして居る。まだまだ努力中だ。お陰で私は私のやる事が出来たので有る。
「!」疑わしい人が現れた!インタビューをしよう。アジサイは花びらを一枚一枚数えながら星雲の様にくるくると誤認や疑問をカタツムリと晴らしていく。
「私の星は、危ぶまれたので御座います。トッツァンも凶暴化し、何やら不穏な存在が、この家に忍び込んで来たのです。カタカムナと云う文献が、それらを告げて居ました。
最初に神の名前が、記されて居て、姫(秘め)言葉で御座いますが、その次に実は神では無い名が連なって居ります。
マカタマ「勾玉」ノ
アメノミナカヌシ
タカミムスヒ
カムヒムスヒ


ミスマルノタマ
ウマシタカカム
アシカヒヒコ
トコロチマタノ
トキオカシ(この時代はおかしが奥ゆかしいという意味が成ってないから、時がおかしい、と訳す)
著しく波動の弱いのが特徴です。
カタカムナは、肩をかむな「削るな」と訳します。その事に対して、「幽霊」の存在を示唆します。
霊、精霊とは違う、異なる亦「幽霊」とは。
トッツァンが、「何か居る。」と云って怯えているのを、男らしくないと云って怒ったり、ばあやとも、ばあやは悪いのですが、わしの星はめちゃくちゃになってしまいました。
私は、村一番の美人でしたが、霊などは現代では久しく、私は隠蔽され、
岩穴に閉じ込められて居ましたのぢゃ。私はそこで蛇を食べ、涙を飲み、子を産み、生きながらえた、苦しむと何故か力も付いた。辛いと痛みがわかる。もともと体力が人以上に有った。私の命とは?「私はもう老婆なのです。」
星が死ぬときは赤く強く光りますが、まだ時間は有りますが、仏座にぽつぽつと「あなた」と「私」の「逢瀬」が有ったのも縁。善い旅を。


ヒフミヨイ
マワリテメクル
ムナヤコト
アウノスヘシレ カタチサキ

ヒフミは帝、天皇陛下のことか、一ニ三。
まわって巡る、大丈夫だと、
ムナは虚しいや、胸、それや、事である、
会うのなら末を知れ、会う事には末を知れ、会うの?末を願う、青の末を知れ、青(怨念、人魂)の末を知らし、空へ届け、
形は後、形咲いて、形は咲くから、形は先にある


村の相撲で一番になり、美人を認定されました。ばあやの愛を獲得し、恋人トッツァンを授けられ、とても仲良くなって、幸せでいっぱいだった。詩人が生まれました。
「しかし、それから」と云う物語が、平行して時代と続いて居るのです。
雨の日に、私がトッツァンを迎えに行くことが出来なくてなんのせいか。そこで、トッツァンが、何をしているのかわからない程、私達は離れてしまった。
貧しくても結婚をして慎ましく居る夢も、中途半端で、私らは詩を書いて持て余して居ます。外で何が起こって居るのがわからないので、これから警察に行き訪ねます。

「俺らを記憶装置にするのか、」
この言葉が、先ゆうへの自分たちが一応自立した存在である証拠のお笛となるのです。
わしは隠蔽されたのですが、ばあやに権力があり、ばあやの負担も思います。



第101章 おじいはん
おじいはんの絶対見せたかったものは、隣の亦おじいはんが作った模型である。
週間少年ジャンプのチェンソーマンがモデルになってて、何やらめちゃ怖い。私の同人誌を勝手に茶の下敷きに使って、始まった喧嘩が口喧嘩でおさまらず、「かかって来いや。」と服を脱ぐおじいはん。題目はテレビで見た長老クイズで有る。自分が悪いのに誰かや云うて、もうそれさえ忘れる。
仏壇をナメながらカッコをつけて、あわよくば、死にたいとか桜の様に散りたいとか、年寄りを偏見する若者の姿に、自ら触れながら、登場させた恐怖マシンの模型で有る。
「ボケない、悪いことを悪いという。」
その言葉で小さくなったおじいはんのナイフ、チェンソー。
そんなものはさりとて骨董品とは違うのだ。食えない魚はちゃっちゃと海に返し、ちゃんと自分の好きなことをして、これを繰り返すさなか、地平線でビーチボールの様に浮かぶおじいはんの作品。何かを避けることが、何かを選ぶわけではない。何かを避けることが、それを選ばないわけでもない。強さを真似ても、気付かれる事は無いのだ。文脈ばかりが、現実を彫る事とも違うし、何に自分が魅力を感じて居るか、これに対して傷付くときに何の隙も無くなるだろう。
そういうのを、一瞬で汲み取る力とは?
既にその秘訣と強さを知るおじいはん。
「何も知らんかったわ。」と笑うおばあはん。

賢さや強さや格好の良さや素直さ、その全てのパスワードとは、人の誠の傷にただ気付いて居ることだ。老人からの「許可」は、そこに得るものが有る。週刊誌の写真で見た「今」より、自分自身の脈絡の方が「今」と云う概念に近付けるのだ。