華村千裕 オフィシャルブログ

AVプロダクションLINX(リンクス)所属のAV女優・華村千裕(はなむらちひろ Hanamura CHihiro)の公式ブログです。

2021年06月


お早うございます。
華村は二宮金次郎はもとより学問が好きで御座います。「学問」という言葉が、先ず好きです。その何事も浅くは有りますが、興味の有る事は何でもじっくりとたのしみます。
学びか何で有るかなのですが、孔子云う、くんしは学ぶ、と。学びは何でありましょうかな、物を知る事もそうですが、学(あそ)ぶこと、何やら「なんの為か」は、昭和50年の大学闘争時代から、何かの研究をするに付けて書かなければならないルールとなったそうです。「それについて考していたら、いつの間にか人の役に立ってしまった」学問の本来の形で有ります。字の綺麗さよりも、対する熱情が何かを発見し続ける。

「本、書物」そのものが奥ゆかしいのですが、

学問は、自分のゆき道を授けてくれる事も無く、灯籠として人を楽しませたり、道について何かを云ったりする。

勇気と水との距離感を飲食店のアルバイトで働いて学んだ事がある。
お客様のとても冷たい部分に良く当たる。
神のような気持をするくらい、幸せな時がある。それでも人間は、もう一度濁り、濁りをまた研いでいく。
目は、茶の様に「澄んでいる」。
では、ただ褪せるとは、いのちの魂が見えない事か知ら。
感情とは、焼き餅でもゆっくり感じるとぽかぽかする。魂を、削らずにゆっくり手に取ってみる。自分の中で起こること、自分の中に起こる感情を、全て自分のせいにして、掬(救)う、それを心とする。

その後に「質問」と「回答」があなたと私の間に繰り返される。


答えを出さずに諦める人が多い。
悩むことと迷うことも亦、真逆程違って、悩みには答えが必ず有る。それが形を持って居なくても、人の力になる事や心を強くするには、しっかりノートとベンを使う事だ。空に行きたかったら行く方法として、重力(地)と心(天)が要る。

「道」はこの様に見抜く。埃、煙埃、それを丁寧にはらい、綺麗にする。目的は無いが、誰もが無いのが知の実際だと華村は思う。


お早うございます。
梅雨も明けかけですな。華村は来たる季節に掛けて沈黙をします。
黙る為に喋るとか、何かを喋るために黙るとか、緊迫感がは人には有ります。感じることに聞き耳を立てる。
夢と物語を本日は書きます。



紫陽花と蝸牛の「インタビュー」

星と星の葛藤は、カタツムリと紫陽花に例えてみられる。
「向こう、あなた」の星では、モニュメントが実に平和的に彫刻され、その天辺から宇宙の果てさえ望む事か出来る。その人は何にも出けへんかったのに、いつの間にか絶えない努力をされ出世をして居る。まだまだ努力中だ。お陰で私は私のやる事が出来たので有る。
「!」疑わしい人が現れた!インタビューをしよう。アジサイは花びらを一枚一枚数えながら星雲の様にくるくると誤認や疑問をカタツムリと晴らしていく。
「私の星は、危ぶまれたので御座います。トッツァンも凶暴化し、何やら不穏な存在が、この家に忍び込んで来たのです。カタカムナと云う文献が、それらを告げて居ました。
最初に神の名前が、記されて居て、姫(秘め)言葉で御座いますが、その次に実は神では無い名が連なって居ります。
マカタマ「勾玉」ノ
アメノミナカヌシ
タカミムスヒ
カムヒムスヒ


ミスマルノタマ
ウマシタカカム
アシカヒヒコ
トコロチマタノ
トキオカシ(この時代はおかしが奥ゆかしいという意味が成ってないから、時がおかしい、と訳す)
著しく波動の弱いのが特徴です。
カタカムナは、肩をかむな「削るな」と訳します。その事に対して、「幽霊」の存在を示唆します。
霊、精霊とは違う、異なる亦「幽霊」とは。
トッツァンが、「何か居る。」と云って怯えているのを、男らしくないと云って怒ったり、ばあやとも、ばあやは悪いのですが、わしの星はめちゃくちゃになってしまいました。
私は、村一番の美人でしたが、霊などは現代では久しく、私は隠蔽され、
岩穴に閉じ込められて居ましたのぢゃ。私はそこで蛇を食べ、涙を飲み、子を産み、生きながらえた、苦しむと何故か力も付いた。辛いと痛みがわかる。もともと体力が人以上に有った。私の命とは?「私はもう老婆なのです。」
星が死ぬときは赤く強く光りますが、まだ時間は有りますが、仏座にぽつぽつと「あなた」と「私」の「逢瀬」が有ったのも縁。善い旅を。


ヒフミヨイ
マワリテメクル
ムナヤコト
アウノスヘシレ カタチサキ

ヒフミは帝、天皇陛下のことか、一ニ三。
まわって巡る、大丈夫だと、
ムナは虚しいや、胸、それや、事である、
会うのなら末を知れ、会う事には末を知れ、会うの?末を願う、青の末を知れ、青(怨念、人魂)の末を知らし、空へ届け、
形は後、形咲いて、形は咲くから、形は先にある


村の相撲で一番になり、美人を認定されました。ばあやの愛を獲得し、恋人トッツァンを授けられ、とても仲良くなって、幸せでいっぱいだった。詩人が生まれました。
「しかし、それから」と云う物語が、平行して時代と続いて居るのです。
雨の日に、私がトッツァンを迎えに行くことが出来なくてなんのせいか。そこで、トッツァンが、何をしているのかわからない程、私達は離れてしまった。
貧しくても結婚をして慎ましく居る夢も、中途半端で、私らは詩を書いて持て余して居ます。外で何が起こって居るのがわからないので、これから警察に行き訪ねます。

「俺らを記憶装置にするのか、」
この言葉が、先ゆうへの自分たちが一応自立した存在である証拠のお笛となるのです。
わしは隠蔽されたのですが、ばあやに権力があり、ばあやの負担も思います。



第101章 おじいはん
おじいはんの絶対見せたかったものは、隣の亦おじいはんが作った模型である。
週間少年ジャンプのチェンソーマンがモデルになってて、何やらめちゃ怖い。私の同人誌を勝手に茶の下敷きに使って、始まった喧嘩が口喧嘩でおさまらず、「かかって来いや。」と服を脱ぐおじいはん。題目はテレビで見た長老クイズで有る。自分が悪いのに誰かや云うて、もうそれさえ忘れる。
仏壇をナメながらカッコをつけて、あわよくば、死にたいとか桜の様に散りたいとか、年寄りを偏見する若者の姿に、自ら触れながら、登場させた恐怖マシンの模型で有る。
「ボケない、悪いことを悪いという。」
その言葉で小さくなったおじいはんのナイフ、チェンソー。
そんなものはさりとて骨董品とは違うのだ。食えない魚はちゃっちゃと海に返し、ちゃんと自分の好きなことをして、これを繰り返すさなか、地平線でビーチボールの様に浮かぶおじいはんの作品。何かを避けることが、何かを選ぶわけではない。何かを避けることが、それを選ばないわけでもない。強さを真似ても、気付かれる事は無いのだ。文脈ばかりが、現実を彫る事とも違うし、何に自分が魅力を感じて居るか、これに対して傷付くときに何の隙も無くなるだろう。
そういうのを、一瞬で汲み取る力とは?
既にその秘訣と強さを知るおじいはん。
「何も知らんかったわ。」と笑うおばあはん。

賢さや強さや格好の良さや素直さ、その全てのパスワードとは、人の誠の傷にただ気付いて居ることだ。老人からの「許可」は、そこに得るものが有る。週刊誌の写真で見た「今」より、自分自身の脈絡の方が「今」と云う概念に近付けるのだ。


お早うございます。

庭にて、月桂樹と檸檬、レモンバームを育てて居ます。
学生の頃、先生は植物と話をされて居ました。華村は、その先生が朝の校門であくびをされて、目が合い、顔を赤くしました。自分より背の高い異性と云う事に出会うと。異性と、誰と話しても心が苦しい、自意識過剰なのですね。中学生に為るとすっかり景色が変わる。制服が丸で別で、着替える場所も違う。男は煙草を吸い出す。
今日私は先生のように、葉を育てる。思い出と云う此の風の、美しいと云う卷藥咼子(まやかし)。


波長が合うと自分の代わりに枯れたりします。供養をして、また宜しくね、と云う。
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有りて無い私の目は、限りに於いてはみなのもので有り、これを安心の為に云うが、
怒りにまかせて罪を被ってはいけない。幽霊には本当に顔が無い。

私の目が視覚的では無いのが、そういった客観性を持ち得ないのは、生活としての情報が、「あなた」に無き事だから。

「死ね」増えもせず、減りもしない。若し、心を心で聞くなら、、苦しみとその修めがわたしに在るだけだ。

それは、人を混乱させる激しい情熱の為に。そりゃ、「教育」もしたい。しかし違反を必ずする。

神と仏に違いは有るが、私は違いの無い所を目指す。
綺麗さ、美しさともつかない、「麗」を研磨。仏性は如来と菩薩についてこれに違いが有る。さらに天使が在る。

万華鏡はそこに存在するだけの性(花)を、二度と無い言葉で、二度と同じで無い言葉の永えに於いては連続が有る。

金色…証拠とはならないが、これは「あかし」と云い、あなたに度々出現する。

もともとは「魔法」のしっぱいだそうな。頭が痛い。


人にたいして扇情が有るとすれば、馬鹿にしているわげでは無い。
ゆき道さえ、伝える事か出来るのなら、あなたは私よりも早く走り、その点から、私と「あなた」はタイマンで有り、いつも、常に、緊迫して居る。私はもうあなたの先を追えないからだ。


お早うございます。


今日は、辛いことや寂しいことの多い中で、私の考えたことを書きます。


 「世の中」の中心が屡々、
臭いもの・汚いものになって居る。
人はもともとそれを嗅ぐ時が有って、

勘付かれ、裏手に回られ、
悪態をつかれる。
嫌う事と肯定は、たいてい同じらしい、
かたよって居ると云う意味で、同じ。
故って、私の憎しみ「愛情」は、気力は、臭いもの・汚いものにいつのまにか
そそがれる。

精神とは、なんじゃろなァ、と云われるほど私たちのはっきりとして知らない事である。これを、ずっと未知と定め歩いて行くと、自分の大きさから目を逸らさず、実際、遠くの星なんてのは既存です。周りをみた方がより多くの事を知れるのだ。


(怒り)赤。不動明王のような愛を憧れ、自分を成長させる止めど無い感情。


(憎しみ)恋をしたときに、気持がどちらに転じるか、愛か、憎体か。大抵は憎しみで有る。憎しみを、まのがれる事が、清さと云う限りなのかもしれない。醜い太陽のこと。肉眼で浴びては焼けてしまう。

(ヤキモチ)自身が何かに傷付いて、自分の男性性、女性性、を感じ、愛を学ぶ。

(哀しみ)涙を流せる事。

(悲しみ)押し潰れてしまう心。心を持ちて、抵抗する事。



フィールで有る。理性とは、感情のマイナスを口に含み、五感、感覚的に感じてみた上で、遥かに憎しいひとの上に立てる。


「私が生きてる」と云う事も大事だが、
大地とは星よりなんだ。「私は」足を持って歩いてる。足は大地に常に面して居るから、悲しみも亦有る。広大に続いて行く事に希望を持つなら悲しみも亦有る。生命の中で憎しみだって必要で、坂が有ればそこへ上って行く力があるのですから。
クリーンにするなら、自分の中に、過去が今の全てが有り、辛い事をまるまる忘失する為にまた同じような事か起こる、しかし繰り返すうちによく感じる。老いた時にボケないように繊細に分別する。山が無い、山にも登らず、愛が欲しいだけを云ってでは暮らせないのである。
忘れる事と覚える事も分別する。大いに涙を溢すのも記憶として良き。感情は、記憶で有る。健康とは、これで有る。心の健康とは。








華村のお経の翻訳


ある時 佛は告げた
諸々の菩薩よ
心の良い人よ
あなたは私を信じてわかりなさい
如来は誠の言葉や
もう一度云う
あなたは私を信じてわかりなさい
如来は本当の言葉や

この時、菩薩と人、弥勒が一人、白佛と、
祖の一つの願望が有って
私たちは信じ受け
この時、祖は知る
菩薩を
止まらず知る

「私は此れを言う
あなたは此れを聞く」

如来の秘密や神の力は
これらは世のものであり
阿修羅に及ぶ
この富からシャカが遠からず道場を開いてる 心に

良い心の人、以来私は実に成仏した
量もなく辺もない、星くずの那由多
あなたも五億の星の那由多
この城で三千大世界
戯れ
小さなことは人も何も云わない
東の五億の星の那由多
さて、城の下に塵がある
あなたは 蓋をして

良い心の人 この心がわかったとして
これが世界
校をはかって 思推して何が得か
それを知り
頭を使わずに言葉を発した弥勒などをこそ知りなさい
弥勒など白佛 白いひとの言葉は

「この世界には量がない辺がない、計算されない

そこで知る事が、量がない辺がない
私の心に無い事は
私の世界に無い 」

思察が不能で 作らないことを厳かに知れる
私は住む

先人の事は
あなたの世界で
量がなく辺がない


菩薩たち
良い心の人
今私は灯りをわける

釈迦无二佛は宣言する
「この世界は若く 小さい 」


ふつつかなものを私は蓋する
一つの塵
以来私は成仏した

そこの人 過ぎるで
千億の星

自に従い 来たるで

私の住むこの娑婆の世界
教えを設け
およそ千億の星の那由多
城は 変わらず

良い心の人
私はこの間 佛に燃えて
言を復す

魂の若い人は 私の所に来て
私の目を使い
信じる等を云う
根は鈍く 所々応じて
自説を少々する
名は同じ
彼の喜ばしいのは大小で
再び現れ 同じ事をする
「ねはん」に入れなさい
種々を方便し 微妙な妙法を説明できない

良い心の人
如来は人を見てきた
小さな心で

「徳の薄い重病人」

私は少なく心
以来私は成仏した

久方の若い人に方便し
人が人に教えた
佛の道に入らしめ
あなたは話をし

良い心の人
如来は演じて
皆 衆を脱させ
私のこと
あなたのこと
私の身
他の身
己の身をしめし
他の身をしめし
己の事をしめし
他の事をしめし 
皆 ウソは吐かず
如来は知って
見てて
三つの世界
三界の顔を示した

有りて無い現実

若い魂を退け
若い魂を出した
世に有らず
滅びのたびに及ぶ
実に有らず
虚に有らず
私に有らず
異ならず
あなたはこれを汲む事に
如来の妙見がある
貸し借りは有りて無い

人の所に
たねだね性(しょう)が有り
たねだね欲が違い
たねだね行が違い
たねだね億え、感じる事が違い

この生が命ずる
この諸々の善い芽を 少しの因縁と
言葉で
この宇宙のたねを教える

遠く久しく

良い心の人
私の本業は菩薩の道です
その所に良い成りがあり
今に蓋をされない
しっかり上へ伸び
今、滅びに有らず
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