華村千裕 オフィシャルブログ

AVプロダクションLINX(リンクス)所属のAV女優・華村千裕(はなむらちひろ Hanamura CHihiro)の公式ブログです。

2021年07月

自分が何をされたのかしっかり覚えるように、何度もしつけをされるが、辛いのである。

憤りは憤りとして置いておく事。

人ともすぐいからず、抑えて。話をする。またいつても話せるように
ありがとう、は云う。
腹を聞いて頂いた。
生きてる間、何度も練習をする。

周りは興味を持って話を聞いてくれたり、話かけてくれることもある。あれがあかん、これがあかん、自分の人生丸々教えてあげたいわ、あるが、そういうひととも苛立ちながら会話することも、

すれ違ったままでいることも、要るし、流れかもしあるのなら、解きたいものもある。「解決」はじぶんの中にあり、他人は触ない。もやもやしてることが今に等しい答えかもしれないし、考えることが出来ない。



神でないのに憤怒して一生を使うのは、出来ないし、仏像てないのに仏像だと云う意味もこんにちは得になく、様々な空気、時間の流れ、起こるべき出会いなど、尽くして怨や愛に在りたい。恨みだって少しはあるが、そういうのはすぐに忘れる。

 

何事も巡るのだから、そうやって覚えつつ

それよりも、

 

 

 

ラーメンを打ちたかったり、

厳しい心気を望む場合、

「中国の神様、私もしたい。」

と願えば、ずぐには叶わなくても、良いと思う。




自分の居場所が、最もラク(楽)で、

自分じゃないから受けれない苦しみがある。

自分が、全部感覚を活かして、歩く(体と知)自分に戻らなければならない。

その為に文化とか色々居って、人生もまた在るんだと思います。被害者さえ何か言われるが、そんな感じやとも思ったり、打たれたり、色々してたら良いんちゃうか。こうとも考える、吉本新喜劇は、変わらずに好きだ。

太陽は熱いやろ。
抜け出すここから。
底やと思い。

日は熱い。
サングラスしたり避けたりして、それなりに動かなければならない。

相手と私のその間、何ぼも痛いのは相手(光)に近づげば近づくほど、痛い。妬ける。熱い。

それは、地と言う心がかやの外にある為、

幸せについて考えるのに、地がわかんなかった。
西洋で、

「happy」は、「何か」を語る為の最低限の態度。

宗教の話しやったら、好きやから話せるやれろうけど、目の合った会話って全然なくて、
仏国で厳しかったんが、さらに天使が現れて、



縄文時代の人間とは、そこにはみんなが居て、人間関係に蜜だから、原始人とは違い、空気を物凄い読みはる。
風などが目覚まし時計であったり、生まれが違うから、神なのだろう。


「心」は、表と裏があって、

「佛」は、酷くて、メロメロにさせる。

「破魔矢」には、縄文時代とかそれ以前の祖が宿る。





人には学ぶペースがある。
今ある縁を大切に持つ。心で出会った人と
会いたいと思いつつ。

万葉集みたいでいい。

途中で色々あったり憤りするけど、最終的に何かを言えたり和(わ)かったりすることが大切。

二年、と聞く。

時間はまた考えを成長させる。思ってるより少しずつ進む。

「光」と聞く。

思うことばかりでなく、眠ることも忘れない。
朝、昼、夜、更に季節がある。



「如来」とは、基本人と変わらない。
身なりが見かけが「菩薩」に比べて貧しい。
突拍子もない客観性はないけど、全然あと。

星も光る途中だ。それが「中途半端」なのだ。

次世代にも次世代がある、とナウシカレクイエムを聴いて考えている。

スピリチュアルが日本で古い方なので、何かと尋ねられる。

世界は長い、
地球は若い、

その長さ、丈に吊り合う自分に

色んな外国のひとに、ちょっと押されても、
考えなければいけない。


心の目、皇のある、佛眼、(曖昧)からは、希望しか持ち帰らない。

思うことばかりでなく、眠ることも忘れない。
朝、昼、夜、更に季節がある。



私しか知らない私の中で、どちらかというと従っている。

順序的には年齢としてもあとの方。


旦那などにもこれらの事を、けっこう話したりして、整理や発散などをする。
しかし、「相手に」失礼のないように、思いやりを考える。


同じ事を、同じ物を、テーマに話す、書く、表現する、といっても、オリジナルは人の数だけあるのつで、何も気にしなくて良い。



緊張してこういうふうに書いてるが、滑っても怒られるだけだから、はい、すいませんと言って諦めない。

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