「俺は何もかもかもわかる」と思う気になるのが、大学で学問をし出した20代の頃であるが、働いている年配や老人は、何もを諦めたとして、大切なものを忘却したとして、何かボケて見えるのである。
老人と付き合えば、棘のある言葉の躱し方や、「俺」とした会話を考えている態度など、見ていると舐めれないと知る。
親子の憤りももともとは魂が敵同士で有り、揉み合う中で、親は親で、子を家から追い出すように遺伝子的に思い、海へ出る。
会社でも、ショップでも、人を疎ましがらず、水にかかると思い、手足を動かしてもっと泳げるように、
海へ行く。
そして、自分の中に弾力をつける。
「しね、キモい、バカ」人を罵倒するのに叶った言葉を、大和言葉とするには、本当に傷ついた時に決死になり口にすればいい。
上品でもないのに繊細そうに、しょんぼりして、素直になれないし、粗い目の言葉にはすっぽりハマる。書物に埋もれて死んでしまう。
子供が大学生になったとき、必ず戦争を考える、必死に生きたいし、虚無を抱え月に行きたいとさえ云う。
「お前はリアルを知らない」等、云って私は教えの手伝いをしたい。
リアルとは、戦争でも刹那に生きる事でも何でもなく、綺麗になりたい、心でも身なりでも、そういう自分に対峙し、衣食住を継続する。
恐怖になりたい時だってあるし、
賢くなりたいのに、やり方がわからない。
問題は、西洋文化、戦争ですっかり忘れてしまったのだが、
聖お兄さんを見ててもおわかりのように
「天使」と「仏」では高度が違うが、まるまる神国だった古代から聖徳太子の仏教以来、今は、天使になりたい思想が加えられ、まろやかになった。しかし、時代は忙しくテンパって、まず祖母の代は苦労を教えなくなり、
現代すっかり優しくなってしまった。
甘すぎる気がする。
リアルとは何か?私達も子から学びたい。
たたかいに胸が熱くなったりすることもある。せやけど、そんな高いもんを望まれても、困るのである。
夢も希望も詩の理解も叶える。その為だけに、苦を苦としたり、哀しい時には泣き、嬉しい時に笑う。
八正道が深まるものだとしらなかったし、やってみたことがない人も多い。
味覚や五感などを、深めて、人間が人間になると、何かと良いこともある。良い客観性を持たなければ、自信なんてすぐ崩れる。
思想の模倣に留まって、「ロック」出来ているのかが心配だ。
「エミネム」や「ヒップホップ」「レゲエ」など、良いものを私たちは、聴いてきたが、
何度つきつけられても良いのは精神である。
エミネムの素晴らしさをどう祖父母や親と共有できるか?
あるべき墓に入り、
あるべき星になり、